うんこ観察とは自身との対話
『うんこを見る』、もっと言えば『うんこを観る』という事は、その時何を食べたのとか、その時点の健康状態・コンディションを観察することになる。
これもまたもっと言えば、「うんこをみる」ということは毎日の『自分自身との対話』とも言えるだろう。
人間たるもの、うんこを出さないことは避けられない
「うんこ」と言っても拭いたときの紙に付いている方のではない。(それはいわゆる「写し」の方だ。)
トイレットボウル、いわゆる「便器」の中に入っている方である。
時には優雅に浮かんでいたり、そして時には沈んでいたりする、あの茶色を基調とした個体である。
(いや、正確には個体でもあり、半液体的でもあるあの物体)。
(ここで「うんこ」は固め、「うんち」は柔らかめ、なのではないか!!といった議論はここではしない。感覚のブレをなくすため、表記は『うんこ』で統一して進めることとする)。
たまには元気がない時もあるし、辛いもの食べた次の日で大変HOTな時もあるし、はたまたたくさん食べた後は、テレ東ばりの『熱盛!』な時もあるかもしれない。
うんこは、私の生活への通信簿とも言えるだろう。
このようなこと言うと、「うんこの話をするなんて汚い」などと言う人がいるかもしれないが、もう我々は小学生ではない。立派な大人である。うんこは、人間が生きていく上で必ず生産するもの、必要不可欠な行為からの産物なのである。
必ず出していくものなのである。
未だかつて、排泄しないで生活しているホモ・サピエンスを、私はひとりも知らない。
あなたが大好きなあの可愛い顔したアイドルも、あんな爽やかな笑顔の俳優さんだって、必ず、100%、すべからく「うんこ」しているである。(この「すべからく」は誤用です)。
NO UNKO, NO LIFE
少々話がブラついてしまったが、最後にこの言葉でこのエッセイを締めたいと思う。
『あなたが「うんこ」を覗く時、「うんこ」もまたあなたを覗いているのだ』
。。。
まあ覗くのは本体というよりはトイレットボウルの中なんですけどね。
ということで、最近覗いてなかったですが、今後はしっかりと覗いていきたいと思う次第です。
以上、SHUNでした。
P.S. 神は死んでてもいいけど、どうか紙だけは。。とニーチェさんには言いたいです。
死んでない神様はこちら
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